改革政党として都ファ再建を目指し、代表辞任を進言
2021年の都議選から約1年間、党の立て直しに奔走した。立党の原点に立ち返るには、改革の必要性を理解した上で、最後まで遂行する強さが必要だった。
都民ファーストの会が参院選に臨もうとしている時、都民ファーストの会代表(当時)と会い、党代表を降りるよう進言した。ウソに基づいた党運営では、党の再建はできない。
やり方を変える「改革」と政策のバラマキが同じだと思っている議員がいることに驚く。なぜ、そんな基本的なことが理解できないのか?不思議だった。
ふつう、国や都で何か成し遂げたいことがあり、そのために選挙を通じて議員になると思う。国会議員や都議会議員に当選すること自体が最終目標の人では、改革の必要性が理解できないのかも知れない。
都議会議員が、寄らば大樹の思考で都知事にしがみ付いていたら、とても30年超の停滞に挑む原動力にはならない。都議会議員は、東京の一大事の時に、勇気ある決断が必要になる。
2022年10月、都民ファーストの会を離党
小池都知事の「改革は終わったのよ」発言以降、ギリギリで離党を思いとどまってきたが、東京大改革を体現したはずの都議3名が、英語スピーキングテストを都立高入試に使うことに反対し、党を除名になった。
この3名は、嘘をついて都民や都ファ議員をだました訳ではない。ただ、真実を言い続けただけだ。都民ファーストの会に骨のある都議が残っているなら、体を張って除名を撤回させたと思うが、そうはならなかった。
私が自民党を飛び出し都民ファーストの会に移った理由は、ドン政治をやめて都政を改革することが目的だったが、都民ファーストの会でも改革が頓挫し、挫折を味わった。
2022年10月28日、私は、都民ファーストの会から離党した。
ミライ会議を結成
都政の立て直しは、自分でやり切るしかない。世の中の「それ、おかしくない?」という声を集めて、都政を立て直したいと思った。
そのためには、情報をオープンにして話し合える政策集団が必要だと思った。この考えに相応しい名称として「ミライ会議」をメンバーに提案し、了承された。
既存政党には属さない、しかし議会は議員1人でできることは限られるので、無所属議員の共同体のようなイメージの集団であり、何でも無理して全会一致にする必要はないが、「都政の改革」という共通の目標を持つ集団にしたかった。
2022年10月:ミライ会議(都議会会派)設立
2023年1月 :ミライ会議(政治団体)設立
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