覚悟して言い切る

2014年は、政治資金問題で猪瀬都知事が辞任し、新たに舛添都知事が当選した。その2年後、舛添都知事の政治資金の公私混同問題に関する報道が相次いだ。世論は厳しく、都知事の信任問題へと発展し、都政が停滞した。それは東京五輪の準備が急ピッチで行われている時期だった。
五輪開催は「五輪憲章」を遵守するために、世の中の考え方や仕組み(受動喫煙、LGBTQ、バリアフリーなど)が変わる。当然、利害関係者の間で軋轢が生じやすい。元々、舛添都知事は都議会内に特定の支持勢力を持っていないので、都民の支持を失うと政治力が低下して、議会に積極的な提案等ができなくなる。信の無い都知事では都政の難局を乗り切れないことは、当選間もない私でも分かっていた。また、都議会自民党の幹部が、舛添都知事問題の先延ばしを狙っていたと思われ、その姿勢に疑問を感じていた。
ここまで状況が詰むと、都政は立ち行かない。そのような状況下で、私が都議会本会議の一般質問の順番だった。舛添都知事に「引導を渡すしかない」と思った。とは言え、都議会自民党幹部の指示なしに勝手な発言した場合、ただでは済まされないとも思った。
覚悟を決めて、都議会の一般質問で舛添都知事に「出処進退」を迫った。
「黙れ!」と、発言を制止された

私が舛添都知事に「出処進退」を迫ったことは、私が所属していた都議会自民党の幹部の意向に逆らったことになる。本件で、ドンからは無視され、先輩都議からは首の皮一枚の状態だから気を付けろと忠告があった。
その後、都議会自民党の会議で知事の辞任問題について、私が発言しようとした際に、幹事長から「黙れ!」と怒鳴られ発言を制止された。私と考えが違うことは、冷静に理解した。
実は、「出処進退」を求める発言の直前に、他の幹部議員たちから出処進退について言及して構わないと言われていた。しかし、私の発言後その幹部たちに至っては、知らぬ顔の半兵衛であった。
この頃、同僚議員から「最近、元気がない。」と心配されるようになっていた。十分な情報提供もなく、自由闊達な議論もできないのであれば、誰が都議になっても無意味だと考え込むことが多くなっていた。
舛添都知事に対する世論の怒りは収まらず、与党の都議会自民党への批判も続いた。結局、6月15日に舛添都知事は辞任した。
自民党都連から衝撃の通知、党推薦候補以外を応援したら除名!?
舛添知事の辞任に伴い、1カ月後には都知事選がある。新しい都知事候補の選定が始まった。当時、衆議院議員だった小池ゆり子氏が自民党の候補に名乗りを上げたが、自民党都連幹部が了としなかったと報道された。
自民党都連幹部は「地方消滅」の著書で有名な元岩手県知事の増田寛也氏を強く推した。しかし、都議会自民党内には若手を中心に小池氏を推す動きがあり、世論の小池支持も増していた。
その頃、自民党都連から衝撃の通知が届いた。
党が推薦していない候補者(小池氏のことだと分かる)を応援した場合、「除名などの処分対象になる」との文書が国会議員や地方議員に配布された。更に、親族による応援も禁じる内容だった。親族の行動まで支配しようとする異常な思考に自民党が乗っ取られたと感じた。懐が深い自民党は過去のものとなっていた。
肝心の都知事選は、自民党と対立する形で小池氏が勝利した
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