前哨戦の都議選で、民主党が第一党へ

小泉ブーム後、2007年の参議院で民主党が参議院第一党になり、安倍内閣は退陣した。その後、国会は衆参が捻じれ公務員の人事案等が通らなくなり行き詰まった末に、福田内閣も退陣した。次の麻生内閣が発足して約10カ月で最初の試練が訪れた。衆院選の前哨戦と言われた東京都議会議員選挙が行われ、都議会自民党は大幅に議席減となり、都議会第一党の座を民主党に明け渡した。
私は、この都議選では自民党都連の選対本部に出向していた。開票時刻が迫るに従い、各局のテレビ中継スタッフや記者たちの会話が漏れ聞こえくる。事前の予想通りに都議会自民党が大きく議席を減らす見込みの話だった。麻生内閣の支持率は10%前半にまで低下しており、その影響が都議会議員選挙に及び都議会自民党は10議席減少し38議席となり、民主党に敗北した。
千代田区選出の自民党大物都議は、告示数日前に擁立が決定した民主党の若手新人に敗北した。その様子を見て、大型選挙は実質的な選挙運動なしでも、構図で決まる時があると知った。
衆議院議員選挙で自民党が敗北、遂に政権交代へ

2009年8月、都議選の敗北感が残るまま、麻生内閣は衆議院議員選挙に突入した。私は、都議選に引き続き、自民党都連の選対本部に出向した。
親しい国会議員秘書たちから、衆院選最前線の様子が伝わった。小泉ブームの郵政解散フィーバーとは打って変わり、演説を聞いてもらえない、ビラは拒まれる、無視される、罵声も浴びるなど雰囲気は大きく変わった。街頭演説会は自民党支持層を動員すればそれなりの規模になるが、無党派への広がりに欠けていた。選挙の最終日が近づくにつれ、もう打つ手がないと皆気づいていた。
投開票(8月30日)は徹夜で選対本部に詰めていた。自民党の下野が決定した。その朝、自民党本部9階から警備員が常駐するゲートを見下ろすと、普段は党本部のゲートを防御するように警察のバスが停車してたが、とても小さなパトカー1台に代わっていた。政権政党でなくなった事実は、警察の警備体制からもわかった。中でも、省庁の関連団体は最も露骨で、自民党一筋のように見えた各種団体の中からも、民主党を最優先する対応が続いた。当時は、野党のままでいたら自民党が終わると思った。
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